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集中と希望……平成日本衰退の理由と、令和年間に期待する3つの根拠

キーワードで振り返る平成30年史 最終回

 もっともそれらは為政者だけの責任ではない。そもそも農耕民族で村社会を重視し、和を尊んだ日本人、そんな日本人にとって集中は安心感の源なのだ。これはネットやSNSが普及しても変わらない。テレビを始めとする既存メディアを「マスゴミ」と揶揄する者たちがツイッターで、そのテレビで放送されるジブリ映画を見て一緒に「バルス」と唱えて大喜びしているのだから。

 よくもまあここまで暗い話ができるものだと、我ながら驚いている。しかし、安心していただきたい。わたしは救いのない話はしない。わたしは令和というピリオドにもいくつかの救いを見つけたのだ。まずは10年おき陰陽の法則。実は戦後の日本は60年代は高度経済成長で元気、70年代は公害の表面化で沈滞、80年代はバブル、90年代は失われた三十年のスタート、00年代はITバブルの到来、10年代は00年代後半からのリーマンショック後遺症と、おおむね陰陽が交互に訪れている。いささかオカルティックではあるが、この順番で考えるなら、少なくとも令和の最初の10年間は陽のピリオドとなることが予想される。
 今上天皇のご英断の影響も大きい。なぜなら令和は祝福の中で始まることができるのだ。
 実は平成は悲しみと戸惑いの中で始まった。昭和天皇の崩御。そして得体の知れない自粛ムード。いまでこそ明るく紹介されるが、あの「新しい元号は平成です」は決して明るいムードの中で発表されたものではない。またあの発表後は明るい雰囲気が許されるというシグナルを感じた者もいたが、依然として大喪の礼までは目に見えない何者かによる自粛への圧力が日本を覆っていた。だから平成という時代はスタートからして沈鬱だったのだ。
 今回は違う。陛下は退位はなさるもご存命であり、国民は堂々と新元号の時代の始まりを祝い寿ぐことができる。もちろん「始まりよければすべて良し」とは限らぬが、少なくとも暗いスタートよりはいいだろう。

 さらにもうひとつ。「内からの外圧」を挙げておきたい。日本人は和を尊ぶ。法より慣習を重視する。それが故に日本という国では他国なら当然起こったはずの王朝交代もなければ市民革命も起こらなかった。これが良くも悪くも日本なのだ。
 だがそんな日本が革命が起こったとしか言いようがないほどの劇的な変動を遂げたことが近年二度ある。ひとつは幕末の開国からの流れ、もうひとつは第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争などと政治思想によって呼び名は様々だが、先の戦争における敗戦、そしてそこからの連合国軍総司令部(G.H.Q)による占領からの改革期である。
 これらに共通していることは改革が外圧によるものであるということ。さらに言えばその主体はアメリカである。そしていずれも日本にとっては受け入れがたい改革だったにもかかわらず、受け入れた結果は日本の大躍進を招いている。
 現在、日本はグローバル化と少子化の影響からか、多くの外国人を受け入れている。私自身はこのことに手放しで賛同する者ではないが、もしかしたら、日本の国内で彼らが一定数に達すれば一つの勢力として圧力を発すること考えられる。これすなわち「内からの外圧」である。ただ一つその主体がおそらくアメリカでも西洋キリスト教文明でもないということは、過去に照らせば気がかりではある。まあ21世紀はアジアの時代というのだからそこに希望を寄せておくことにしよう。少なくとも彼らは集中にはなじまないだろうから。
 

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後藤 武士

ごとう たけし

平成研究家、エッセイスト。1967年岐阜県生まれ。135万部突破のロングセラー『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島社文庫)ほか、教養・教育に関する著書多数。


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